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東京地方裁判所 昭和61年(行ウ)150号 判決

原告

ネッスル株式会社

右代表者代表取締役

エッチ・ジェイ・シニガー

右訴訟代理人弁護士

青山周

被告

東京都地方労働委員会

右代表者会長

古山宏

右訴訟代理人弁護士

宮瀬洋一

右指定代理人

大蔵伸夫

三村國光

被告補助参加人

ネッスル日本労働組合

右代表者執行委員長

斉藤勝一

被告補助参加人

ネッスル日本労働組合東京支部

右代表者執行委員長

植野修

被告補助参加人

松村定春

右被告補助参加人ら訴訟代理人弁護士

岡村親宜

山田裕祥

古川景一

主文

一  都労委昭和五八年不第五七号事件について、被告が昭和六一年八月二六日付けでなした命令のうち、主文第一項ないし第三項を取り消す。

二  訴訟費用のうち参加によって生じた部分は被告補助参加人らの負担とし、その余の部分は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件命令の成立

被告は、補助参加人らが原告を被申立人として申し立てた不当労働行為救済申立事件(都労委昭和五八年不第五七号事件)について、昭和六一年八月二六日付けをもって別紙のとおりの命令(この命令書を以下「本件命令書」といい、主文第一項ないし第三項の救済命令部分を以下「本件命令」という。)を発し、右命令書の写しは昭和六一年九月二六日に原告に交付された。

2  本件命令の違法

しかしながら、本件命令は前提とした事実の認定及び法律上の判断に誤りがあり違法であるので取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の主張は争う。

三  抗弁

被告は、本件命令書理由中「第1認定した事実」記載の事実に基づき、同「第2判断」記載のとおり判断したものであって、右事実認定及び判断に誤りはなく、本件命令に誤りはない。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  本件命令書中「第1認定した事実」に関する認否

(一) 「1当事者等」について

(1) (1)の事実は認める。

(2) (2)の事実は否認する。原告の従業員が組織する労働組合は、現在村谷政俊を本部執行委員長とするネッスル日本労働組合(以下「訴外組合」という。)が唯一のものであって、それ以外にはない。

(3) (3)の事実は否認する。もともと訴外組合は単一体としての労働組合であって、その東京支部は下部組織として昭和四〇年一一月に設けられて以来現在まで、東京以北の各事業所に勤務する従業員が全員加入する唯一の支部として存続してきているものであるから、被告が認定しているような、補助参加人組合の組合員のうち、関東甲信越以東の販売事務所等に勤務する従業員で組織する組合員一一名の補助参加人支部組合は存在しない。

(4) (4)の事実のうち、補助参加人松村定春が、補助参加人組合と訴外組合とが対立・抗争していたころから今日に至るまで、引き続き補助参加人組合に所属しているとの点は否認し、その余の事実は認める。

(二) 「2本件配置転換が行われた頃の労使関係」について

(1) (1)〈1〉の事実のうち、昭和五七年一一月ころから、訴外組合(当時の本部執行委員長は三浦一昭)の内部に組織問題が発生したことは認めるが、その余は争う。

同〈2〉の事実は否認する。

(2) (2)の事実は否認する。

(3) (3)の事実のうち、被告が、都労委昭和五八年不第五六号事件及び同第六六号事件について、昭和五九年七月三日付けをもって、被告認定にかかる救済命令を発したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 「3本件配置転換」について

(1) (1)〈1〉の事実のうち、被告の認定するセールスマン(営業部員)の入社後の昇進経路は否認し、その余の事実は認める。

同〈2〉の事実は認める。

(2) (2)〈1〉の事実は認める。

同〈2〉の事実は否認する。

(3) (3)〈1〉アの事実は認める。

同〈1〉イの事実のうち、補助参加人組合及び補助参加人支部組合が松村の浦和出張所長への配置転換(以下「本件配置転換」という。)の件を含む三名の組合員の配置転換等の問題に関して箕輪東京販売事務所長に対したびたび団体交渉を申し入れたが、同所長はこれを拒否し続けたことはいずれも否認し、その余は認める。松村が、昭和五八年五月に、神奈川営業所トレード・セールスマン(特約卸店担当の営業部員)への配置転換に関し、右東京販売事務所長宛の文書をもって、撤回を求めてきたことは事実であるが、松村は、労働協約に則った苦情は一切申し立てていない。

同〈2〉の事実は否認する。

2  原告の主張

(一) 補助参加人両組合の不存在

原告の従業員によって組織される労働組合は、訴外組合が唯一のものであり、その下部組織としての東京における支部は、ネッスル日本労働組合東京支部(支部執行委員長は四宮義臣であり、以下「訴外支部組合」という。)が唯一のものであって、補助参加人組合及び補助参加人支部組合は存在しない。すなわち、訴外組合は、昭和四〇年一一月に結成された単位労働組合で、結成以来原告の従業員による唯一の労働組合として存在してきたものであり、また、訴外支部組合は、そのころ訴外組合の下部組織として設けられて以来、原告の関東甲信越以東の販売事務所等に勤務する従業員が組織する唯一の支部として存続してきているものであるところ、訴外組合と原告との間での昭和五七年三月一八日に締結された労働協約において、ユニオン・ショップ制が採られてきているから、原告の従業員はすべて訴外組合の組合員であった。このような労使関係からみて訴外組合とならんで別個の労働組合が存在し得るためには、団結意思を有する一部の組合員が団結体を結成し、独自の規約や執行機関を有するだけでは足りず、右組合員らが組合規約に則り訴外組合あるいは訴外支部組合から脱退あるいは除名されて新たに労働組合を結成することを要するところ、本件において補助参加人組合及び補助参加人支部組合に属すると称する組合員らは反主流派を形成して分派活動を行っているものの、現在に至るまで訴外組合及び訴外支部組合から組合規約に定める手続により脱退したり除名されたことはなく、その組合員として取り扱われてきているのであるから、いまだ訴外組合及び訴外支部組合から離脱しておらず、その組合員であることは明らかである。したがって、本件において訴外組合及び訴外支部組合と別個の労働組合が成立する余地は全くないのであって、被告は、参加人組合及び参加人支部組合が労働組合として存在しないにもかかわらず、それが存在するとの誤った前提で本件命令を発したものである。

(二) 不当労働行為意思の不存在

補助参加人両組合が存在しないことは前述のとおりであるが、仮に、右両組合が存在するとしても、本件救済命令は、補助参加人組合が存在するに至ったのは昭和五八年三月二〇日であり、補助参加人支部組合が存在するに至ったのは同年四月九日であるとしているところ、原告が松村に対し、本件配置転換を内示したのは同年三月二日であるから、本件配置転換は松村が補助参加人組合に加入していることとは全く関係ないものであり、また、補助参加人組合の運営にも何等関係がない。また、松村は、本件配置転換命令が内示された昭和五八年三月に至るまでの間、南関東営業所や浦和出張所において、補助参加人組合なるものの組合員として格別の活動を行ったということも全くない。

以上のとおり、松村が補助参加人組合に所属し続けているなどということは、本件配置転換命令決定時にはあり得ないことであり、したがってまた原告においては知り得ないところであるから、原告には不当労働行為意思はない。

(三) 業務上の必要に基づく本件配置転換

(1) ディストリクト・スーパーバイザーの職務内容

松村は、ディストリクト・スーパーバイザー(出張所長)であったが、ディストリクト・スーパーバイザーは、担当地域の販売目標を設定し、部下のセールスマンに対する業務の指示、割当及び調整などを行い、部下のセールスマンの営業活動を通じて販売目標を達成し、製品の販売量の増大とマーケット・シェアーの維持、拡大に努め、他方、部下であるセールスマンを良好な人間関係のもとで監督、指導及び育成し、部下の営業活動の能率的、効果的展開及び部下のレベルアップを図るよう業務を遂行すべきであり、その具体的な職務内容は、〈1〉販売目標の達成、〈2〉顧客の管理、〈3〉部下の指導、育成、〈4〉他部門との連絡、調整等に要約できる。

(2) 松村のディストリクト・スーパーバイザーとしての不適格性

ア 松村はフィールド活動(デスクワーク以外のいわゆる外回りの活動をいう。)率が低く、その内容も不十分なものであった。

松村のフィールド活動率は、原告が定めた目標である六〇パーセントに達したことはほとんどなく、特に昭和五八年一月及び二月の実績は三五パーセント程度であった。そのうえ松村は、担当地域内の顧客の動向を把握するうえで大切な重要顧客の訪問をほとんど行っておらず、浦和出張所長に就任した昭和五七年一〇月から昭和五八年二月までの五か月間におけるその訪問は一か月当たりわずか〇・八店でしかなかった。しかも、ディストリクト・スーパーバイザーが、部下の担当する店舗を抜打ちに訪問して、部下のマーチャンダイジング活動(品揃え、在庫量の確保、宣伝物の飾り付け等を行うことをいう。)の実施状況をチェックするスポット・チェックは、部下の指導及び教育上重要であるばかりでなく、顧客の管理上も重要であるにもかかわらず、松村は右五か月間において、これを全く行わなかった。

イ 松村は、自主的訪問システムに対する理解が不十分であった。

自主的訪問システムとは、各セールスマンが、基本的には、あらかじめ作成した訪問予定表に基づいて担当顧客を訪問して営業活動を行うが、刻々変わる市場の環境や顧客の要求に対応するため、その時々の状況に応じて訪問予定を変更して効果的な営業活動を行う制度であり、この制度においては、各セールスマンは日報に当日の訪問実績を記録するとともに、翌日の訪問予定も合せて、上司であるディストリクト・スーパーバイザーに報告し、ディストリクト・スーパーバイザーは右報告により部下のセールスマンの活動状況を確認するとともに部下のセールスマンが状況の変化に対応した顧客の訪問を行っているかどうかをチェックし、部下のセールスマンに対し市場環境及び顧客の要求にあった営業活動が行えるよう適切な指示及び指導をする職責を有するものであるが、この指示及び指導の内容が出張所の販売実績に及ぼす影響は、従前に比し、より大きくなっているのである。然るに、松村は、右システムに対する理解が不足していたため、スポット・チェックや重要顧客訪問をほとんど行っておらず、また部下が提出する月報のチェックさえも十分行っていない状態で、そのため部下に対する適切な営業活動を指示及び指導することができなかった。

ウ 松村は、顧客の管理を十分行っていなかった。

ディストリクト・スーパーバイザーは、部下のセールスマンが自主的訪問システムに従って顧客の訪問を適切に行っているか否かを管理・監督しなければならないが、松村の部下であるセールスマンの訪問店率(訪問店名簿に記載された訪問すべき店数に対し、実際に訪問した店数の割合)は、他の出張所の平均が九〇パーセント弱であるのに、七九・一パーセントと低く、このことは、松村が部下のセールスマンの活動状況を十分に把握しておらず、部下に対し自主的訪問システムに従った、組織的、効果的な営業活動を行うよう指導しなかったことを示すものである。

また、ディストリクト・スーパーバイザーは、自ら重要顧客を訪問し、当該重要顧客の販売政策、販売計画並びに自社及び他社製品の販売状況等を把握することが重要であるが、松村の前記五か月間の一か月当たりの平均訪問店数は、他のディストリクト・スーパーバイザーが六ないし七店であるのに対し、〇・八店と低く、このことも、松村が顧客の動向を把握していなかったことを示すものである。

さらに、ディストリクト・スーパーバイザーが担当地域内の顧客の動向を把握するうえで、スポット・チェックを実施することは、ディストリクト・スーパーバイザーの重要な職務の一つであるが、前記五か月間における一か月当たりのその実施件数は、他のディストリクト・スーパーバイザーが少ない者で一一件、多い者で四七件、第一地域の平均で一九・七件であるのに対し、松村は当該期間において一件も実施していないが、かかることからも、明らかなとおり、松村の顧客管理は十分でなかった。

エ 松村は、部下の指導及び育成を十分に行っていなかった。

部下の指導及び育成については、昭和五七年以降、その内容を具体的かつ効果的なものにするために指導項目等について定めた「OJT指導基準」(OJTとはオン・ザ・ジョブ・トレーニングの略称である。)に従って行うこととされており、また、松村の部下は全員セールスの経験の浅いスリー・エス・セールスマン(出張所所属の地域巡回営業部員)であったから、OJTの実施が特に必要であったにもかかわらず、松村は、ただ単に部下と同行するだけで、部下に対するOJTの実施が不十分であり、右基準に則った部下の指導及び育成を十分行っていなかった。そして、南関東営業所長金作耀三が松村に対し、OJT計画表の作成、提出を指示したにもかかわらず、松村はこれを提出せず、部下の指導及び育成に関し、計画性をもって実施しなかった。

また、ディストリクト・スーパーバイザーは、部下が提出する月報を十分にチェックし、部下の活動状況や顧客の動向を把握して、部下に対し適切な指導を行うべきであるが、松村は、部下が作成する月報に対し、十分なチェックを行っていなかった。

以上のとおり、松村は、OJT指導基準に沿った部下の指導及び育成を行っておらず、また、部下が作成、提出する月報に対しても十分なチェックを行っていなかったため、松村は、部下のセールスマンの活動状況や性格、適性等の把握が十分ではなく、担当地域内の市場の変化に応じた適切な指導及び育成を行うことができなかった。

オ 松村は、他部門との連絡及び調整が十分でなかった。

ディストリクト・スーパーバイザーは、関連する他部門との連絡及び調整を密にし、営業活動を組織的かつ効率的に行われなければならないが、松村は、特に南関東営業所や東京販売事務所所属のチェーン・セールスマン(大手チェーン・ストアー、スーパーマーケットの本部を担当する営業部員)との連絡及び調整が悪かった。

カ 松村が担当する浦和出張所の昭和五八年一月度ないし二月度の販売目標が達成されなかった。しかも、その販売目標は、松村自身が作成した販売予測をいずれも下方修正したものであって、松村は、自ら立てた販売予測はおろか、下方修正されて与えられた販売目標すら達成されなかったものである。

キ 松村は、金作営業所長の指導及び督励に対し改善の努力をしなかった。

以上のとおり、松村は、ディストリクト・スーパーバイザーとしてのフィールド活動が十分でなく、自主的訪問システムについても理解が不足し、顧客の管理、部下の指導及び育成、他部門との連絡及び調整も十分に行っておらず、そのうえ、出張所としての販売目標も達成できなかったため、上司である金作営業所長は松村に対し、計画的なフィールド活動の実施、重要顧客に対する販売計画及び販売政策等の把握、・(ママ)指導、ファンクション・セールスマンとの連絡及び調整、販売目標の達成等につき、再三にわたり指導及び督励を行ったにもかかわらず、松村は改善に向けての努力を全くしようとせず、また、その成果も上げることができなかった。

以上の諸点から、松村は、部下を通じて仕事を行うディストリクト・スーパーバイザーとしては不適格であると判断されたものであるが、本件配置転換命令は、神奈川営業所トレード・セールスマンであった佐藤喬が東京営業所東京第四出張所長へ転勤することに伴う後任人事として決定されたものであり、トレード・セールスマンは、部下をとおさないでできる仕事であること、松村はトレード・セールスマンとしての経験を有していること、神奈川営業所という勤務地は、かつての部下に日常接触しないですむ場所であること等の事情を考慮して決定されたもので、あくまで業務上の必要性に基づくものである。

(四) 不利益取扱いの事実の不存在

原告におけるセールスマンの名称は、いずれもその担当する顧客の種類や担当職種の違いによって分けられているのであって、セールスマンの職位の上下区分でもなく、昇進経路を表しているものでもない。また、賃金体系の適用においてもすべて同一の賃金体系が適用されており、セールスマンの名称が異なることによって、賃金や賞与の支給基準や支給額が異なることもない。なお、ディストリクト・スーパーバイザーには監督者手当が支給されているが、職務手当的性格を有するもので、この支給を受けているからといって、トレード・セールスマンと職位の上下関係はないものである。したがって、本件配置転換は降格ではなく、松村にとって特に不利益な取扱いではない。

五  原告の主張に対する認否及び反論

1  被告の認否

原告の主張事実は争う。

2  補助参加人らの主張

(一) 原告の不当労働行為意思

(1) 原告が、昭和五一年四月に、現在労務部長である吉沢肆喜を労務部長代理として、昭和五二年三月に、臼井久祐を労務課長としてそれぞれ入社させてから、原告の労使関係は緊張の度を高め、以後労使間の紛争が多発するようになった。

(2) 原告は、遅くとも昭和五六年一一月ころ以降山田営業所長ら管理職をほぼ毎週集めて、組合対策の会議を行い、この会議には、原告の社長や労務部長が出席して、組合対策について詳細な討議や方針説明を行った。また、原告は、分裂前の東京支部組合組合員に対し会社の意向に従うよう働きかけ、その結果、組合に関して会社の意に従うことを表明した組合員からいわゆる進退伺いを取る方針を立て、この進退伺いのとりまとめ作業を係長等に行わせた。さらに、原告は、昭和五七年ころに労務部が作成した管理職宛の「CONFIDENTIAL」と題する書面を配布して、組合対策に関する会社の考え方を伝えるとともに、この文書を通じて、管理職宛に個々の組合員に対する組合本部批判の働きかけをするように指示をしていた。

(3) 原告は、係長以上の組合員を組合に対する支配、介入の先兵とすべく工作を行っており、かかる工作の一環として、原告は、会社の休日である昭和五六年七月一日若しくは二日と同月二五日に、晴海のホテルにおいて、原告の選抜した係長以上の者を集め、松村も出席し、社長や東京販売事務所所長から、組合の圧力に対し対抗、防衛しなければならないとの基本方針の伝達がなされた。

(4) 松村は、昭和五六年八月ころから昭和五七年一月ころにかけて上司である長谷川課長らから組合執行部はアカであるとかスト権には反対しろなどといわれ、進退伺いの提出を強要され、さらに、そのころ東京販売事務所の越智次長から言うことを聞かない者はいらないなどといわれたが、結局これらを拒絶した。

(5) 松村は、浦和出張所長として赴任した後も、上司である金作営業所長から補助参加人組合は闘争的な集団で会社にとって非常に困る存在であるから、会社の方針に沿って補助参加人組合から離脱するようにと、再三勧誘された。

(6) 以上のとおり、原告は補助参加人組合を嫌悪しており、原告に不当労働行為意思があったことは明らかである。

(二) 松村のディストリクト・スーパーバイザーとしての適格性

(1) 原告は、松村のフィールド活動率が、千葉出張所長のそれと比較して劣ると主張する。しかしながら、昭和五七年一二月は決算のための書類整理の、昭和五八年一月及び二月はセールスマンのルート改定のそれぞれの時期であり、いずれもデスクワークを必要とし、フィールド活動率の低下はやむをえなかったものである。そして、実際に、同年三月及び四月にはフィールド活動率が六〇パーセントを超える実績を上げているのである。しかも、松村のフィールド活動率は全社的に見て他の出張所長と比べても全く遜色のないものである。

また、原告は、松村の担当していた浦和出張所は、訪問店率やセールスマン一人一日当たりの訪問店数が千葉出張所に比べて劣ると主張するが、全社的に見て他の出張所と遜色のないものであり、しかも、松村より劣る出張所長が不適格として降格された事実はない。

(2) 原告は、松村がスポットチェックや重要顧客訪問を行っていなかった旨主張する。しかしながら、松村は、実際はこれらを行っていたのである。ただ、南関東営業所及び浦和出張所においては、金作営業所長と松村の使用すべき自動車がチェーン・セールスマンである山戸源治とトレード・セールスマンである太田健介によって使用されることが多かったため、松村は部下のセールスマンと同行して顧客訪問をすることが多かったのである。したがって、その場合には、月報に記載するに際し、スポットチェックや重要顧客訪問の項目に記載せず、フィールドでの部下の訓練の項目に記載していたのである。

(3) 原告は、松村の部下に対する指導及び育成が不十分である旨主張するが、結局具体的なものとして指摘しているのは、松村が部下から提出される月報についてコメント等の書込みをしていないということぐらいである。しかしながら、原告においては、部下の月報に上司が書込みをして返却することは制度化されていたわけではなく、松村は、必要ある度に部下に口頭で助言及び指導していたのであって、原告の主張は失当である。

(4) 原告は、松村の担当する浦和出張所の昭和五八年一月度ないし二月度の販売目標が達成されなかったと主張する。しかしながら、原告は、松村が浦和出張所長になる以前から、オーダリー・マーケッティング政策を採っていたものであり、同政策とは、適正量、適正価格、適正マージンでの販売を目指すものであり、そのための具体的を方法として、安売りがなされた場合には、販売店に対する会社からの協賛金を打ち切り、さらに、昭和五八年一月には、適正価格の広告チラシに対する協賛金を増額することとし、この政策を推進するに当たり、右のとおり超安値が出現した場合には協賛金を打ち切ることとし、このために売上やマーケットシェアが一時的に落ちてもセールスマンの責任ではないとされていた。このように、松村が浦和出張所長であった時期には、全社的にオーダリー・マーケッティング政策が推進されていたのであり、価格安定に全力を注ぐ方針が採られていたのであるから、松村が担当する浦和出張所がこの時期に販売目標数量を下回る販売結果となってもやむをえなかったものである。

(5) 原告は、金作営業所長が松村に対し、四〇数項目にわたって注意を与えたが、松村は改善の努力をしなかったと主張するが、当初、松村が年休を取っていた日に金作がかかる注意を与えたと主張するなど、その事実の存在自体全く信用できないものである。

(三) したがって、原告に不当労働行為意思があり、他方、松村は、本件配置転換当時補助参加人組合の組合員の中で全国唯一の係長職にあったものであり、しかも、原告の求める進退伺いの提出を拒否し、補助参加人組合東京支部の組合大会に参加するなどして、補助参加人組合に結集することを明らかにしていたもので、原告の松村に対する本件配置転換は明らかに不当労働行為である。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件配置転換が不当労働行為となるか否かについて検討する。

1  補助参加人両組合の存否について

原告は、本件命令は本件配置転換の決定当時において補助参加人両組合が存在することを前提とするものであるところ、右配置転換決定当時右両組合は存在しなかった旨主張するので、この点について検討する。

(一)  当事者間に争いのない事実と(証拠略)によると、次の事実が認められる。

(1) 昭和五七年一一月当時、原告会社においては、昭和四〇年一一月に原告ら従業員らにより結成されたネッスル日本労働組合(以下便宜「旧組合」という。)が存在し、原告肩書地に本部を置き、全国各地に八支部、組合員約二一〇〇名を有していた。

(2) 旧組合は、昭和五七年七月二〇日に、第一七回定期全国大会(以下「第一七回大会」という。)を同年八月二八日、二九日の両日に開催すること、同大会代議員選挙の投票日を同月一一日、認証日を同月一四日とすることを公示し、次いで、同年七月二九日に、本部役員選挙の投票日を同年八月一一日とすることを公示するとともに、二七名の本部役員候補者名簿を発表した。右本部役員選挙には、本部執行委員長に、当時現職の川上能弘が会社による組合への介入等を阻止するとの立場から、当時姫路支部執行委員長兼本部執行委員であった三浦一昭(以下「三浦」という。)が組合本部の方針を批判する立場からそれぞれ立候補し、その他の役員についても、双方の立場から立候補した。

(3) ところが、旧組合本部執行委員会は、前記各選挙に原告が管理職等を使って介入しているので、公正な選挙ができない状況にあり、この点に関する対策を講じる必要があるとして、同年八月六日、第一七回大会を延期するとともに、本部役員選挙及び同大会代議員選挙を中止して後日実施することを決定し、この旨を公示した。

(4) 本部執行委員会の右決定に反対する組合員らは、右の措置が一部の本部役員による独裁であり、組合を私物化するものであるとして、同年八月二五日から前記三浦らを代表として、本部役員の弾劾と退陣、既に投票実施中の投票の完全実施並びに定期又は臨時全国大会を開催することを要求する署名運動を各支部で展開し、組合員総数の八割に達する一六七〇名の署名を得て、これとともに「本部役員の弾劾、投票の完全実施並びに定期又は臨時全国大会開催要求書」を旧組合本部執行委員会に提出した。

(5) これに対し、本部執行委員会は、同年九月二四日に、本部役員選挙を同年一〇月三〇日に実施すること、第一七回大会を同年一一月六日、七日の両日に開催することを決定して公示する一方、前記署名運動に関し組織を混乱させたとして、前記署名運動に関与した三浦らを組合員権利停止等の制裁処分に付するべきである旨本部審査委員会に申請した。

(6) 本部選挙管理委員会は、同年九月二五日に、大会代議員選挙を同年一〇月一八日に、本部役員選挙を同月三〇日に改めて行うことを公示し、右大会代議員の選挙の結果、当時の組合本部体制を支持する者四二名及びこれに反対する者三五名が代議員として選出され、また本部役員選挙の結果、本部執行委員長に三浦一昭、同書記長に田中康紀、同副書記長に浜田一男、同執行委員に伊藤忠夫が当選し、その余の同副執行委員長及び同執行委員一〇名が獲得票過半数に達しないため、選挙規定に基づき信任投票を要するものとされた。

(7) 同年一一月六日に第一七回大会が開催されたが、七七名の代議員のうち当時の本部執行部の方針に批判的な三五名の代議員が欠席したため、同大会は組合規約に定める定足数(大会代議員数の三分の二)を満たさない状態となった。

(8) ところが、当時本部副執行委員長であった斉藤勝一(以下「斉藤」という。)らを中心とする本部執行委員会は、欠席した三五名の代議員は組合規約上の議決権に伴う義務を果さず、代議員たる資格を放棄するものであるから議決権を有しないものであるとして、出席代議員のみで同大会の成立を認めたうえ、同大会は、三浦ら一三名を三か月ないし二年の組合員権利停止処分に付すること、同月一三日に続開大会を開催し同大会において本部役員を選出すること、組合役員又は代議員となるためには、三浦らの行動を支援する分派組織の解体をめざした「団結強化のための方針」を遵守、実践し、原告の意を受けた分派組織に加わっていないことを全組合員に対し、書面で誓約しなければならないこと等を決議し、直ちに三浦一昭、萱原定彦、溝口栄蔵の三名につき本部役員から解任した旨を原告に通知した。

(9) 他方、三浦は、同年一〇月三〇日の選挙の結果、同人らが本部執行委員長などに当選し、就任しており、第一七回大会は組合規約に違反したものであって、そこでなされた決議は効力がないとして、同年一一月八日に三浦ら前記四名が本部役員に就任したことを原告に通知し(以下、三浦を執行委員長とする本部執行委員会を「三浦グループ」という。)、三浦ほか一名は、前記組合員権利停止処分の効力停止などを求める仮処分を神戸地方裁判所に申請し、同裁判所は、同月一三日に右処分の効力を停止する旨の決定をした。

(10) 昭和五七年一一月一三日に開催された続開大会においても本部執行部に批判的な前記三五名の代議員が欠席したため、本部執行委員会は前回同様当日出席した三九名の代議員のみで続開大会の開催を決定し、改めて本部審査委員会の答申を得て三浦らを組合員権利停止処分に付する旨の決議をし、さらに、出席代議員により本部役員選挙を行い、本部執行委員長に斉藤を選出したほか、本部副執行委員長一名、執行委員九名を選出し、斉藤は右本部役員の就任を原告に通知した(以下、斉藤を執行委員長とする本部執行委員会を「斉藤グループ」という。)。これに対し、三浦らは、右組合員権利停止処分の効力停止及び三浦が本部執行委員長としての職務を執行することを妨害してはならないこと等をそれぞれ求める仮処分を神戸地方裁判所に申請し、同裁判所は、同年一二月二日及び昭和五八年二月二五日にいずれも右申請を認容した。

(11) そして、斉藤グループは、同年一二月五日に、原告の意を受けた分派組織が各支部で支部大会や支部選挙を強行しようとしているからこれに参加しないようにと呼びかけるとともに、組合員らから右支部大会や支部選挙に参加しない旨の確認書の提出を求めることを決定し、さらに同月二九日に、右確認書を翌昭和五八年一月九日までに提出した者を「ネッスル日本労働組合」(補助参加人組合)の組合員とし、これらの者を構成員とする第一八回臨時全国大会を同月一五日に開催することを決定した。そして、同日開催された第一八回臨時全国大会において、右確認書を提出した者が補助参加人組合の組合員であり、これを提出しなかった組合員らは右組合から集団的に脱退したものである旨の大会決議が採択され、これによりその所属組合員を確定した。

ついで、斉藤グループは、同年三月二〇日に、大会代議員定数二七名中二六名の代議員出席の下に第一九回臨時全国大会を開催し、本部役員の再選挙を行って斉藤らを再び本部執行委員長及び他の役員に選出し、組合規約の改定等を行った。さらに、同委員会は、同年八月二七日及び二八日に第二〇回定期全国大会を開催した。この組織が現在参加人組合を名乗っているものである。

(12) 他方、三浦グループは、前記(6)の本部役員選挙の結果、本部副委員長一名及び同執行委員九名が未確定であるとして、本部選挙管理委員会に対し前記信任投票の実施を要請したところ、同委員会は、昭和五七年一〇月三〇日に行われた本部役員選挙における上位得票者一〇名について信任投票を行うことを公示し、昭和五八年三月一八日から同月二四日にかけて右投票が行われた結果、三浦を支持する者九名が信任され、斉藤を支持する植野修(以下「植野」という。)が不信任となった。そして、三浦グループは、同月二五日に原告に対し、右九名がそれぞれ信任、選出された旨を通告した。

次いで、三浦グループは、同年六月四日及び五日に代議員総数八四名中八三名の代議員出席の下に第一回臨時全国大会を開催し、同大会において、昭和五七年度本部役員選挙において三浦らが選任され就任したこと、第一七回大会の決議等はすべて無効であること、斉藤グループとともにする一部組合員の行動は組合規約に反する分派行動であることなどを確認する等の議案を採択した。

さらに、三浦グループは、斉藤グループが第二〇回定期全国大会を開催したのと同一期日である昭和五八年八月二七日及び二八日に、代議員総数八四名中八二名の代議員出席の下に第一八回定期全国大会を開催し、運動方針案の採択、組合規約の改定等を行った。なお、三浦は昭和五九年八月二六日に退任し、村谷政俊が本部執行委員長に選出された。これが現在訴外組合を名乗る組織となっている。

(13) 旧組合の本部役員人事等をめぐって、右のような二つの集団の対立、抗争が続いた中で、旧組合の下部組織である旧支部組合においても同様の事態が発生した。

すなわち、東京支部においては、前記第一七回大会及び続開大会において、東京支部執行部の一員である藤ノ木重晴、平田容邦、小森田頼道、正城直己の四名が一年間の権利停止処分にされた後、当時の支部執行委員長で斉藤グループ支持派の植野が、昭和五七年一一月ころ、定期支部大会を開催するために支部執行委員会を開催して、その決定を得ようとしたところ、原告の意を受けた分派組織の妨害を受けたため右委員会の開催が不能となったとして、支部執行委員長の権限で、同月二九日に、第一七回定期支部大会を昭和五八年一月一六日に開催する旨を、同年一二月二日に支部役員選挙を行うことをそれぞれ公示した。そして、支部選挙管理委員長荒井賢一に対し、代議員の選挙と支部役員立候補の受付の公示を依頼したところ、荒井は、右依頼を拒否し、植野の行った支部役員選挙の公示は無効であるとし、支部執行委員長である植野に無断で同月八日に支部役員選挙及び支部大会代議員選挙の公示を行った。そこで、植野は混乱を防ぐため、同月一六日に、同年一一月二九日になした前記公示を取り消し、新たに、同年一二月一六日に、第一七回定期支部大会を同月二六日に開催する旨の公示及び支部役員選挙につき大会付議事項として同大会で選出する旨の公示をした。なお、植野は、この大会は、支部執行委員会の決定を経ずに開催されるものであるため、支部組合員全員の承諾を得る必要があるとして、代議員によらず、組合員全員により構成されるものとした。

(14) 第一七回定期支部大会は昭和五七年一二月二六日に開催されたが、そこでは、この大会が支部執行委員会の議を経ずに開催されたものであったため、その承認と、大会の成立を確認し、議案書に基づく運動方針の採択、全員投票による支部役員の選挙が実施され、植野が支部執行委員長に選出された。ついで、昭和五八年四月九日には第一八回臨時支部大会が開催され、「ネッスル日本労働組合東京支部規約」を制定するとともに、右規約に基づき支部役員選挙が行われ、植野が再度支部執行委員長に選出された。なお、昭和五八年五月二四日には、東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)において、植野を支部執行委員長とするネッスル日本労働組合東京支部が労働組合法二条、五条二項の規定に適合する旨の証明がなされており、さらに、同年六月四日には同支部の登記がなされている。

(15) これに対し、植野らに反対する三浦グループ支持派集団は、右荒井の公示に基づいて、昭和五七年一二月に実施された支部役員選挙において四宮義臣支部執行委員長ら支部役員を選出し、昭和五八年一月一六日には、第一七回定期支部大会を開催したが、同大会には、代議員五三名が出席し、議案書で予定されていた議事の議決のほか、〈1〉本部役員の信任投票を全員投票で早期に実施すること、〈2〉三浦新本部執行部体制の確立と臨時全国大会を早期に開催するよう要望すること、〈3〉植野前支部執行委員長による昭和五七年一二月一六日付け公示は無効であり何等効力をもたず、したがって同月二六日の集会は植野個人が招集した集会にすぎないことの三点を確認する緊急動議が出され、いずれも満場一致で議決された。

以上の事実が認められ、右認定に反する(証拠略)はいずれも信用できない。

(二)  以上(一)(1)ないし(12)認定の事実によると、昭和五七年一一月に開催された第一七回大会の前後ころから旧組合内部において斉藤グループと三浦グループとの対立が顕在化し、双方がそれぞれ独自に本部執行委員長ほかの組合本部役員を擁立し、主導権争いを展開するなど別個の活動を推進していたが、斉藤グループは確認書なる書面を提出した組合員のみを所属組合員とすることを決定し、昭和五八年一月一五日に臨時全国大会を開催して所属組合員を確定し、次いで同年三月二〇日に開催した臨時全国大会において斉藤を執行委員長とする組合本部役員を改めて独自に選出するとともに組合規約を整え、他方、三浦グループは、同月一八日から二四日までの間に本部役員選挙の上位得票者について信任投票を行い、三浦グループを支持する九名を本部役員として信任、選出したのであるから、遅くとも同月二〇日の時点においては、斉藤グループを支持する組織は参加人組合として独立した労働組合となり、三浦グループの組織である訴外組合とは別個に存在するに至ったものというべきである。

また、前記(一)(13)ないし(15)に認定したところによれば、旧支部組合においても組合本部内部の右対立を反映し、斉藤グループ支持派と三浦グループ支持派が激しく争い、斉藤グループ支持派は昭和五七年一二月二六日に支部執行委員会の議を経ないまま第一七回定期支部大会を開催して運動方針を決定するとともに植野ら支部役員を選出し、さらに昭和五八年四月九日に開催された第一八回臨時支部大会において新たに支部規約を制定するとともに植野らを支部役員に選出しており、他方三浦グループ支持派は昭和五七年一二月に実施した支部役員選挙において四宮義臣ら支部役員を選出し、さらに昭和五八年一月一六日に開催した第一七回定期支部大会において三浦らの執行部を支持する旨表明しているのであるから、遅くとも昭和五八年四月九日の時点で、斉藤グループを支持する組織は補助参加人支部組合となり、三浦グループを支持する組織である支部組合とは別個に存在するに至ったものというべきである。

(三)  原告は、旧組合と原告との間にユニオン・ショップ協定が締結されているため、原告の雇用する従業員はすべて旧組合の組合員であり、新たな労働組合が成立するためには旧組合規約の定める組合脱退又は除名の手続を経なければならないのに、補助参加人組合及び補助参加人支部組合に所属すると称する組合員らは右手続を行っていないから、補助参加人組合及び補助参加人支部組合が労働組合として成立する余地はないと主張するが、原告と旧組合との間にユニオン・ショップ協定が締結されていることは新たな労働組合の成立を妨げるものではなく、右に説示したとおり、補助参加人組合及び補助参加人支部組合が訴外組合及び訴外支部組合と別個独立に執行部役員を選出し、組合規約を制定し、労働者の団結体としての実態を有するに至った以上、その団結権は保障されるべきであって、その所属組合員が旧組合脱退又は除名の手続を履践したか否かを問わず労働組合としての成立が認められるべきであるから、原告の右主張は失当である。

2  不利益取扱いとその不当労働行為意思について

(一)  松村の経歴及び配置転換について検討する。

次の各事実は当事者間に争いがない。

(1) 松村は、昭和三八年一月にルート・セールスマン(営業部員、現在のスリーエス・セールスマン)として入社し、第一地域営業部東京地区に配属となり、昭和四三年八月に同部特約卸店担当課のトレード・セールスマン(ファンクショナル・セールスマン中の特約卸店担当)となった。昭和四六年二月には、ディストリクト・スーパーバイザーとして、同部北関東営業所宇都宮出張所長に昇進し、以後、昭和四八年五月に同部東京営業所東京第三(東久留米)出張所長、同年九月に同営業所国分寺出張所長を歴任した。そして、昭和五三年八月に同部において製品企画担当のアシスタント・スーパーバイザー(プロダクト・スーパーバイザー)に就任し、昭和五四年三月には同部特約卸店担当課のアクティング・アシスタント・スーパーバイザー(トレード・スーパーバイザー)を六か月間勤め、同年九月からは同課のアシスタント・スーパーバイザー(トレード・スーパーバイザー)として勤務していた。

(2) 松村が、第一地域営業部特約卸店担当課のアシスタント・スーパーバイザーをしていた当時、原告は、営業部門として本社営業本部のもとに四つの地域営業部を置き、松村の所属する第一地域営業部(関東、京浜地区)では、スタッフ部門として、チェーン・ストアー課(チェーン・チームとも称し、大手チェーンストアー、スーパーマーケットの本部を担当)、特販課(百貨店、ギフト・ボックスを担当)、特約卸店担当課(トレード・チームとも称し、大手卸店を担当)の三課とフィールド部門として四営業所、一〇出張所を設けている。

なお、この第一地域営業部及び第二地域営業部(北海道、東北、信越地区)における営業活動をサポートする部門(総務、庶務、人事事務及び出荷、返品管理など)として、東京販売事務所が置かれている。

(3) 原告は、昭和五七年四月に、当時の第一地域営業部南関東営業所浦和出張所長を、同年一〇月一日付けで昭和五八年度の本社研修担当へ転勤させることを決定した。そして、これに伴う浦和出張所長の後任人事について、第一地域営業部長(兼東京販売事務所長)箕輪治彦は昭和五七年五月に松村の上司である特約卸店担当課長長谷川克己に対し、浦和出張所には若いセールスマンが多く、首都圏の特約店の支店も多いので、出張所長の経験も多く、特約卸店担当課(トレード・チーム)のアシスタント・スーパーバイザーである松村を浦和出張所長に充てたい旨述べたところ、長谷川課長もこれに同意した。なお、その際、松村の後任に千葉出張所長を、千葉出張所長には当時松村の部下であった古川を充てるという人事についても話し合われた。

(4) 箕輪部長は、昭和五七年五月二六日に、営業部長、課長、営業所長らが出席した第一地域営業部の販売会議において、同年一〇月一日付けの松村の浦和出張所長への移(ママ)動及び関連人事を発表した。そして、長谷川課長は、同日午後六時ころ、松村に右移動を内示したが、その際、松村は長谷川課長に対して、清瀬の自宅からの通勤が長くなること、セールス活動の方法が以前とは異なっていることなどに不安を感じている旨を告げたが、結局、同月二七日に、右内示を受ける旨答えた。そして、長谷川課長は、同年六月一日に松村に対し、改めて文書による転勤内示を行ったが、同人は格別異議も述べずにこれを受領し、同年八月末から九月始めにかけて業務引継ぎを行ったうえ、正式の発令日である同年一〇月一日以前の同年九月二〇日から浦和出張所へ出勤し、出張所長としての業務を始めた。

(5) 松村は、浦和出張所長に就任した直後の昭和五七年一〇月の月報(出張所長が部下のセールスマンの情報をもとに営業活動について営業所長に報告するもの)のなかに、同出張所管内における他社の競争商品のバーゲンセールに関する情報を記載していなかったことについて、同年一一月ころ金作営業所長から注意を受けたことがあった。また、そのころ、浦和出張所管内における顧客の販売実績に関する調査報告の提出が他の南関東営業所管内の出張所に比べて遅れたことがあった。

(6) 松村の上司である南関東営業所長金作耀三は、昭和五八年三月二日に松村に対し、部下の指導育成が不十分であり、かつリーダーシップに欠けるので部下を使わない任務に就ける予定である旨及び現在新任務を選定中であるが、当面、来週から行われる出張所長研修に参加する必要がない旨告げた。

そして、金作営業所長は、同年四月八日に松村に対し、同年五月二三日付けで第一地域営業部神奈川営業所トレード・セールスマンへ配置転換する旨の内示をし、同年四月一一日の朝礼で松村を含む浦和出張所従業員の人事移動を発表した。

これに対し、松村は右朝礼終了後、同営業所長に対して今回の異動は承服できない旨を伝えたが、同年五月二三日には神奈川営業所へ赴任した。

右の当事者間に争いのない事実によると、松村に対し浦和出張所長から部下のいない第一地域営業部神奈川営業所トレード・セールスマンへの本件配置転換がなされており、また、(証拠略)によると、ディストリクト・スーパーバイザーについては監督者手当が支給されるのに対し、トレード・セールスマンには監督者手当がなく、出張旅費についてもディストリクト・スーパーバイザーと比較して差があることが認められ、これらの事実を総合すると本件配置転換は降格であると解せられる。

(二)  そこで、原告の補助参加人組合に対する対応等について検討する。

(証拠略)を総合すると次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和五六年七月上旬と下旬に二度ほど、箕輪東京販売事務所長以下一三名ないし一四名の管理者と松村を含めた出張所長等約一五名を集め、二度目には原告の社長も出席し、良い会社ほど外圧や内圧がかかるものであり、例えば、対外的には、同種企業との競争、取引先との問題、マスコミや消費者団体の監視、対内的には、ストライキの圧力等があり、特にストライキは商売上の信用がなくなり、最も危険な行為であるとし、この様な圧力に対抗、防戦するのはまずセールスマンであると述べた。

(2) 原告は、昭和五六年八月ころから昭和五七年一月ころにかけて、旧組合の主流派であり、後に補助参加人組合に加入した川上本部執行委員長を中心とする集団を嫌っていたが、原告への忠誠を求めるため一般従業員に対し、その進退については原告に身柄を預けるという趣旨の「進退伺」を提出させるようなり、長谷川においても、松村に対し、組合執行部はアカであり、会社をつぶす気かとか、スト権には反対せよなどと申し向け、さらに長谷川宛に自己の進退を原告に委ねる旨の「進退伺」を提出するよう要求した。これに対し、松村は、右要求を拒絶したが、なお要求が続いたため、同年一二月ころ、進退伺いの提出に代え、良い会社にすることについては賛成であり努力するし、組合問題については意見があれば話合いに応ずるという趣旨の書面を同課長に提出した。ところが、その後小林一夫マネージャー・アシスタントは、松村に対し、同人が未だ進退伺いを提出していないとして、その提出を要求し、さらに、昭和五七年一月ころに、長谷川課長も同席した酒席において、越智営業部次長は、松村に対し、「俺の言うことを聞けない奴はいらない。」、「松村君は俺の言うことをきくか。」などと叱責した。

(3) 金作耀三南関東営業所長は、昭和五八年一月下旬ころ松村に対し、補助参加人組合が同月一五日に開催した第一八回臨時全国大会に同人が参加したことを確認したうえ、暗に三浦支持派に移ることを示唆した。

さらに、同営業所長は、同年二月ころ松村に対し、転勤後半年間は前任の上司の責任であるが、三浦支持派に移らなければ自分は今後責任が持てないという趣旨の発言をし、三浦支持派に移るように申し向けた。

なお、昭和五八年三月二〇日当時補助参加人組合所属の組合員の中で原告の役付従業員は出張所長をしていた松村だけであった。

以上の各事実が認められ、(証拠略)はいずれも信用できない。

しかして、右に認定した事実によると、原告は、後に補助参加人組合に結集する斉藤グループを支持する組織を嫌い、右組織に属していた松村に対し、再三後の訴外組合系の三浦グループを支持する組織に移るように働きかけるなど干渉しており、補助参加人組合、同支部組合及び松村を敵視していたものといわざるを得ない。

3  本件配置転換の必要性について

原告は、本件配置転換につき業務上の必要に基づくものであると主張するので、この点につき検討する。

(一)  ディストリクト・スーパーバイザーの職務内容について

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 本件配置転換当時の原告における営業本部の構成は、地域営業部、営業所、出張所からなっており、出張所は、営業組織の最小単位となるものである。ディストリクト・スーパーバイザーとは、右出張所の長であり、その職務内容は、販売目標の達成、顧客の管理、部下の指導及び育成、他部門との連絡及び調整等である。

(2) 出張所としての販売目標の設定は、まず、セールスマンが自らの担当地域の過去の販売実績等を勘案して販売予測を作成し、ディストリクト・スーパーバイザーに提出し、ディストリクト・スーパーバイザーは右販売予測を調整及び統合して、出張所としての販売予測を設定して上司である営業所長に提出する。営業所長は、各ディストリクト・スーパーバイザー及びファンクション・セールスマンが提出する販売予測を調整し、営業所としての販売予測を作成してさらに上司である地域営業部長に提出し、そこで営業所の販売目標が決定され、再び各営業所で調整が行われて、最終的な出張所の販売目標が決定される。

右販売目標に対し、ディストリクト・スーパーバイザーは、部下のセールスマンに対し販売目標の割当及び調整等を行い、さらに、部下の日々の営業活動について適切な指示や指導、監督を行いながら、さらに、他の販売事務所及び営業所のファンクション・セールスマンとの連絡及び調整を行いながらこの販売目標を達成することとなる。

(3) 顧客管理の方法としては、各セールスマンは、各自の担当顧客について、その規模、営業時間、年間売上額及び一日当たりの客数等の基礎資料を把握して、ストア・マスター・カードを作成し、さらに、日々の営業活動を通じて、担当顧客の販売政策や販売計画を把握して、顧客の要求にあった販売促進活動を企画、立案、実施して行う。

ディストリクト・スーパーバイザーは、部下のセールスマンに対し、同人の能力や経験等を勘案しながら担当顧客を割り当て、また、同人と協議のうえ、担当顧客に対する効率的な訪問予定表を作成し、さらに、各セールスマンの右の顧客に対する営業活動についての報告(口頭又は日報、月報による報告)により、部下の活動状況を把握するとともに、担当顧客の販売計画、販売状況、希望する販売促進活動の動向を把握し、部下と同行しての重要顧客訪問や単独でスポット・チェック等により顧客管理を行っている。

(4) 部下の指導及び育成の方法に関しては、ディストリクト・スーパーバイザーは、昭和五七年に作成、配布された「OJT指導基準」で行い、また、各セールスマンの提出する日報や月報を熟読し、その内容を十分把握するとともに、必要があればこれに対してコメントやアドバイス等を付け加え、翌月以降の活動方法について指示を与えるなどして行う。

(5) 本部と支部(ブランチ)を別々のセールスマンが担当している顧客の場合には、ファンクション・セールスマンが本部と交渉して取り決めた種々の販売促進活動が、ブランチにおいて計画通りに実施されるように、ディストリクト・スーパーバイザーは、部下のセールスマンに対し適切な指示を与え、また、当該販売促進活動の実施結果についても部下のセールスマンから報告をとりまとめて、迅速にファンクション・セールスマンに報告などして他部門との連絡及び調整をすべき任務を有する。

その他にもディストリクト・スーパーバイザーは、自ら計画を立てて、部下のセールスマンと同行して担当顧客を訪問し、部下が行うバーゲンセール等の商談のサポート、店頭での品揃え活動の指導等を行い、また単独で部下のセールスマンの担当顧客を抜き打ちで訪問し、店頭において部下の種々の営業活動の状況をチェックし、部下のセールスマンが、担当顧客をどのように管理しているかをもチェックするいわゆるスポット・チェックを行い、さらに、担当地域内の顧客のうち、特に影響力の大きい重要な顧客について定期的に訪問し、担当者と面談して販売政策や販売計画に関する情報を入手し、あるいは店頭において、自社及び競合他社の製品の販売価格及び販売状況、競合他社のバーゲンセール等の実施状況、消費者の動向等を把握するいわゆる重要顧客訪問等を行うべき責務を有する。

(二)  そこで、原告は松村が右ディストリクト・スーパーバイザーとしての職務をこなすことができず、不適格であると主張するので、原告主張の項目にわけて検討する。

(1) フィールド活動率とその内容について

原告は、松村のフィールド活動率が低く、その内容も不十分なものであったと主張する。

フィールド活動率については、(証拠略)によれば、本件配置転換当時、原告においては、ディストリクト・スーパーバイザーの一か月のフィールド活動率の目標を六〇パーセントとするとされていたこと、昭和五七年一〇月度(当月度とは、前月二一日から当月二〇日までをいう。)から昭和五八年二月度までの五か月間における一か月平均のフィールド活動率につき、千葉出張所長古川昇が六六・七パーセント、松村を除く第一地域営業部所属のディストリクト・スーパーバイザーの平均が五六・〇パーセントであったのに対し、松村は四六・七パーセントであったこと、松村が目標を上回ったのは一一月度(六一・一パーセント)だけで、その他はすべて目標を下回っており、特に一月度及び二月度はいずれも三〇パーセント台で目標を大きく下回っていたことがいずれも認められる。しかしながら、他方、(証拠略)によると、松村の昭和五八年三月度及び四月度のフィールド活動率はそれぞれ五二・七パーセント、六七パーセントであったこと、昭和五七年度における他のディストリクト・スーパーバイザーのフィールド活動率につき、四〇パーセント台のものも相当数認められ、三〇パーセント台のものも散見せられること、昭和五七年のディストリクト・スーパーバイザーのフィールド活動率全国平均が五五パーセントであったことがいずれも認められる。

右認定の各事実によると、確かに、松村のフィールド活動率は、昭和五八年三月度には徐々に回復し、同年四月度においては原告の定めた目標を達成しているが、特に同年一月度及び二月度は原告の定めた目標を大きく下回っており、全体としてみても全国の他のディストリクト・スーパーバイザーよりやや劣っているというべきである。

また、フィールド活動の内容については、(証拠略)によれば、松村が右五か月間において、全フィールド活動日数の八七・一パーセントを部下のセールスマンとの同行に費やし、重要なスポット・チェックは一度も行っておらず、重要顧客訪問には、右期間中わずか四日間しか費やしていなかったことが認められる。

尤も、証人松村定春の証言によれば、南関東営業所浦和出張所においては、金作南関東営業所長と浦和出張所長である松村の使用すべき自動車が、チェーン・セールスマンである山戸源治とトレード・セールスマンである太田健介によって使用されることが多かったことから、松村は部下のセールスマンと同行して顧客訪問をしていたことが認められないわけではない。

しかしながら、右認定のとおり、松村は、スポットチェックや重要顧客訪問を部下と同行しながら行っているものの、フィールド活動の中でも重要なスポットチェックは独りで店舗を抜打ちに訪問して、部下の活動状況をチェックするものであるから、その趣旨からして部下と同行して行うことは避けるべきであり、この点からみて、松村のフィールド活動の内容が十分であったとはいい難い。

(2) 自主的訪問システムに対する理解について

原告は、松村がスポットチェックや重要顧客訪問、部下の提出するセールスマンの月報へのチェックを殆ど行っておらず、このことは、松村が部下の活動状況や市場環境及び顧客の要求を十分に把握していなかったことを示すものであり、自主的訪問システムによる部下の管理が不十分であって、このことから自主的訪問システムに対する理解が不足していたと主張する。

確かに、右(1)に判断したように、松村はスポットチェックや重要顧客訪問を十分に行っていたとはいい得ず、また、後記認定のとおり、松村は部下のセールスマンの月報に殆どコメントすることはなかったのであるから、松村は部下の活動状況や市場環境及び顧客の要求を十分把握していたとはいえず、このことから松村が自主的訪問システムを十分に理解していなかったことが推認できる。

(3) 顧客の管理について

原告は、松村の部下であるセールスマンの訪問店率が他の出張所のそれより低いこと、重要顧客訪問件数が低いこと、スポットチェック実施件数が低いことなどから松村が顧客の管理を十分に行っていなかったと主張する。

(証拠略)によると、前記期間内における部下のセールスマンの訪問店率は、古川昇の担当する千葉出張所においては九二・五パーセント、土肥和夫の担当する東京営業所東京第一出張所及び正城直巳の担当する東京営業所第三出張所においてもいずれも約八五パーセントを超えるものであったのに対し、松村の浦和出張所においては七九・一パーセントであったことが認められる。そして、前記認定のとおり、松村がスポットチェックや重要顧客訪問を十分に行っていなかったうえ、右認定のとおり、松村の担当する浦和出張所の訪問店率は、他の出張所のそれよりかなり低かったものであり、これらの点を総合すると、松村は顧客の管理を十分には行っていなかったものといわざるを得ない。

(4) 部下の指導及び育成について

原告は、部下の指導及び育成については、昭和五七年以降原告の制定した「OJT指導基準」に従って行うこととされているにもかかわらず、松村は、ただ単に部下と同行するだけで部下に対するOJTの実施が不十分であり、また、部下の作成する月報に対し十分なチェックを行っていなかったと主張する。

(証拠略)によると、「OJT指導基準」の中に知識、技能及び態度の三つに分類された一四四項目にものぼる指導基準が記載されていること、松村は、昭和五八年に入って金作営業所長から、昭和五八年度の部下のOJT計画表を作成して提出するように指示されたにもかかわらず提出しなかったこと、松村が右指導基準のうち部下に対しこれを実施していなかったものがあることが認められる。尤も、浦和出張所長に就任して数か月の松村に対し、一四四項目にものぼる右指導基準に従った十分な指導及び育成を期待するのは酷と思われるが、それにしても右認定のとおり、松村が、金作営業所長の指示にもかかわらず、OJT計画表を提出しなかったことは、部下の指導及び育成についての熱意を欠くものというべきである。

(5) 他部門との連絡及び調整について

原告は、松村が、南関東営業所や東京販売事務所所属のチェーン・セールスマン(ファンクショナル・セールスマン)との連絡及び調整を十分行っていなかったと主張する。

(証拠略)によると、チェーンストアの場合には、チェーン本部を担当するチェーン・セールスマンが本部で販売促進活動の計画を立て、ディストリクト・スーパーバイザーはチェーン・セールスマンと連絡及び調整をして、部下のセールスマンが効果的な販売促進活動を実施できるように指示すべきであること、しかしながら、松村は、チェーン・セールスマンとの連絡を十分にとらなかったため、チェーン本部担当のセールスマンや営業所のチェーン・セールスマンから苦情が来るなどして販売促進活動が効果を上げなかったことが認められる。

右認定の事実によると、松村は、他部門との連絡及び調整が必ずしも十分でなかったというべきである。

(6) 販売目標について

原告は、浦和出張所の昭和五八年一月度及び二月度の販売目標が達成されなかったと主張する。

(証拠略)によると、浦和出張所に与えられた昭和五八年一月度ないし二月度のネスカフェの販売目標は七・三トンであったが、同期間の販売実績は二・八トンであり、その達成率は三八・四パーセントであったこと、同様に、ゴールドブレンドの販売目標は四・四トンであったが、販売実績は三・一トンであり、その達成率は七〇・五パーセントであったこと、しかも、それぞれの販売目標は、松村自身が作成した販売予測を、ネスカフェの場合は八・九トンから七・三トンへ、ゴールドブレンドの場合は五・四トンから四・四トンへいずれも下方修正したものであること、これに対し、千葉出張所の販売実績は、同時期におけるネスカフェの販売目標九・〇トンに対し販売実績九・〇トン(達成率一〇〇パーセント)、ゴールドブレンドは販売目標五・九トンに対し販売実績六・六トン(達成率一一一・九パーセント)といずれも販売目標を達成していることが認められ、右認定の事実からすると、浦和出張所における昭和五八年一月度ないし二月度の販売目標達成率は、千葉出張所のそれに比較して相当低いものといえる。

他方、(証拠略)によると、原告は遅くとも昭和五七年九月ころにはオーダリー・マーケッティング政策、即ち、乱売を防ぎ、適正量の供給、適正価格による流通諸段階の適正マージンを実現する政策をとっており、その具体的方法として、安売りの場合には、販売店に対する会社からの協賛金を打ち切る方法が取られ、さらに、これをより実行性のあるものとするため、昭和五八年一月には、適正価格の広告チラシに対する協賛金を増額したこと、また、このオーダリー・マーケッティング政策を推進するに当たり、超安値が出現した場合には、協賛金を打ち切ることとし、そのために売上やマーケットシェアが一時的に下落してもセールスマンの責任ではないとされ、昭和五八年度はオーダリー・マーケッティング政策を完全実施するとの方針を打ち出していたこと、そして、昭和五八年一月の時点で、東京営業所管内では、売上がセールスマンの立てた目標に程遠かったことがいずれも認められ、右認定に反する(人証略)はいずれも信用しない。

右認定の各事実によると、当時、原告自身がオーダリー・マーケッティング政策をとって、一時的な販売量の低下よりも乱売を防ぎ、適正量の供給、適正価格による流通諸段階の適正マージンを実現して、長期的に価格の安定と販売量の増加を期していたのであるから、浦和出張所の昭和五八年一月度ないし二月度の販売実績の低下だけをもって、すべて松村の責任であるとはいえない面もあるが、右のとおり、浦和出張所の右販売実績は、条件の類似する千葉出張所のそれに比較して相当低いから、この点に関しても松村の責任を完全に否定することができない。

(7) 改善の努力について

原告は、松村が、上司の指導及び督励にもかかわらず、改善の努力、成果がなかったと主張する。

(証拠略)には、金作営業所長が松村に対し、同行指導、部下の監督、販売目標の提出遅滞、月報作成指導につき、再三注意を行ったとの記載や証言があるが、(証拠略)によれば、(証拠略)は日時において明らかな誤りが二か所あり、すべてを信用することはできないが、度重なる注意ないし指導があったことは認められる。また、(証拠略)によると、金作南関東営業所長は、昭和五七年一二月の販売会議において第一地区販売部長箕輪に対し、松村の浦和出張所長としての三か月半の仕事ぶりの結果から判断して、部下の指導、育成及び統率に問題があるから何とかして欲しいと述べて配置転換を上申したところ、箕輪は金作に対し、自分も今少し観察するから、さらに指導の上観察を続けるよう指示したこと、ついで、昭和五八年一月の販売会議において同部長に対し、あまり改善の兆しが見られないので何とかして欲しいと申請したところ、箕輪もこれに同意し、さらに、同年二月の販売会議において、これ以上松村を浦和出張所長においておくと南関東営業所の負担になると上申したところ、同部長も金作営業所長の言を聞き入れて、松村を浦和出張所長からはずすことを決したことが認められる。

右認定の各事実によれば、金作営業所長は松村の出張所長としての仕事ぶりを三か月以上観察し、度重なる注意や指導をしたうえで、昭和五七年一二月ころから本件配置転換を上司である箕輪部長に上申したものであり、また、箕輪も金作に対し、さらに指導のうえ観察を続けるように指示したが、改善の兆しが見られず、本件配置転換が決せられたものというべきである。

(8) その他、松村が、浦和出張所長に就任した直後の昭和五七年一〇月の月報の中に、同出張所管内における他社の競争商品のバーゲンセールに関する情報を記載していなかったことについて、同年一一月ころ金作営業所長から注意を受けたことがあったこと、また、そのころ、同出張所管内における顧客の販売実績に関する調査報告の提出が他の南関東営業所管内の出張所に比べて遅れたことがあったことは、前記のとおり当事者間に争いがない。

以上のとおり、松村は、フィールド活動率が全国の他のディストリクト・スーパーバイザーよりやや劣っており、その内容も十分なものではなかったこと、自主的訪問システムに対する理解が不十分であったこと、顧客の管理や部下の指導及び育成を十分に行っていたとはいえないこと、他部門との連絡及び調整に十分でない点があったこと、月報に他社の競争商品のバーゲンセールに関する情報の記載もれがあったこと、調査報告書の提出が遅れたことがあったことなど、ディストリクト・スーパーバイザーとして、十分な能力を有していたとはいい難いものである。

三  結論

前記2(一)認定のとおり本件配置転換処分は降格処分であるが、同(二)認定のとおり、原告は本件配置転換以前より斉藤グループを支持する組織ないし集団を嫌い、右組織ないし集団に属していた松村に対し再三に亘り訴外組合系の三浦グループを支持する組織に移るように働きかけていること及び2(一)のとおり松村は過去数回に亘りディストリクト・スーパーバイザーとしてその職務を果してきたばかりか、本件配置転換は松村の浦和出張所長就任後実質五か月程度で決せられていることなどの事実を考慮すると、本件配置転換は松村が斉藤グループに属していることを理由としてなされた不利益取扱いである疑いが全くないわけではない。

しかしながら、前記3認定のとおり、松村は浦和出張所長就任後六か月間に亘りその責務を十分に果さず、ディストリクト・スーパーバイザーとして十分な適格を有していたか否か相当問題であったといわざるを得ず、原告として会社経営上これを放置しておくことができなかったこともこれを肯認し得るところであるから、本件配置転換はやや性急に過ぎた感がないわけではないが、なお原告の業務上やむを得ずなされたものというべきである。

したがって、本件配置転換をもって、松村が後に補助参加人両組合となる集団に加担していることを嫌ってなされた不利益取扱いで不当労働行為であるということはできず、本件命令は違法であり、その取消しを免れない。

四  よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文、九四条後段を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福井厚士 裁判官 酒井正史 裁判官川添利賢は転勤につき署名押印することができない。裁判長裁判官 福井厚士)

命令書主文

1 被申立人ネッスル株式会社は、申立人松村定春に対する昭和五八年五月二三日付第一地域営業部南関東営業所浦和出張所長から同地域営業部神奈川営業所トレード・セールスマンへの配置転換命令を撤回し、同人を配置転換前の原職または原職相当職に復帰させなければならない。

2 被申立人ネッスル株式会社は、本命令書受領後一週間以内に、下記の文書を五五センチメートル×八〇センチメートル(新聞紙二頁大)の白紙に明瞭に墨書して、被申立人会社本社、同東京販売事務所の各正面入口の従業員の見易いところに一〇日間掲示しなければならない。

昭和 年 月 日

ネッスル日本労働組合

本部執行委員長 斉藤勝一殿

ネッスル日本労働組合東京支部

東京支部執行委員長 植野修殿

ネッスル株式会社

代表取締役 H・J・シニガー

当社が貴組合および貴支部所属の組合員松村定春氏に対し昭和五八年五月二三日付で第一地域営業部南関東営業所浦和出張所長から同地域営業部神奈川営業所トレード・セールスマンへ配置転換したことは不当労働行為であると東京都地方労働委員会において認定されました。今後このような行為を繰り返さないよう留意します。

(注、年月日は掲示した日を記載すること。)

3 被申立人会社は前記各項を履行したときは、すみやかに当委員会に文書で報告しなければならない。

4 その余の申立てを棄却する。

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